講義録と校外生東京専門学校は「学問の独立」を標榜し、外国語の必要のない、日本語による講義を特徴・魅力にしていた。しかし、すでに触れたように、いまだ教科書として使用できる適当な日本語教材が少なかったこともあり、講義は教員の話す内容を学生が逐次筆記して、最終的にそれが一冊の筆写された書籍になるという方法で行なわれていた。したがって、講義録は、その筆記を活字化したものであったから、教室での講義の実際に近く、少なくとも講義内容に関する限り、校内生と校外生との差は大きくはなかった。一八八八年六月に、「特別認可学校規則」に準拠して「東京専門学校規則」が改定されたが、その際、第一四章として「校外生規則」が加えられ、学校の規則にも正式に校外生の制度が位置づけられた。また、この規則で、『政治科講義』『法律科講義』『行政科講義』の三種類を発行することと、「校外生ニシテ本校ニ入学セントスルトキハ、学力ニ応ジ特ニ第一年級ヨリ第三年級マデニ編入スベシ」という正規生への編入規定が加えられた。なお、同年一一月には正科の規則の改正に即して、さらに規則が改定され、また、校外生が正規授業の聴講を許される規定も加えられた。同時に、講義録の題名は『東京専門学校講義録』とされ、政治科・司法科・行政科の三種類が刊行される体裁となった[『憲法雑誌』一・二]。また、学校のカリキュラム改変に連動するかたちで、学科編成の改定が行なわれた。このとき、学科配当にも大きく改変が加えられ、講義科目中には農業経済論や地役法など、校内教育の学科配当中に発見できないものもみられる[『校則・学科配当資料』]。以上のように講義録は規模を拡大し、正規生のカリキュラムと連動するかたちで内容の改定を重ねるなど、学校の講義録として極めて充実したものとなって、世の好評を博した。しかし、それにもかかわらず、他方で経営を担当する横田敬太の経験不足もあって、収支状況は必ずしも良好ではなく、一八九〇年末には講義録廃刊の危機に直面する。その際、廃刊を惜しんだ幹事田原栄が以下のように述べて、存続に向けて尽力し、一八九一年二月からは学校直営として講第一部 近代国家像をめぐる相克と「学問の独立」208
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