早稲田大学百年史 第1巻
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開かれた。当時の両雑誌、それが毎号七八分通りは二家の議論を以て満たされてあつたので、其偉観、実に明治文壇に再び見士がいかに文壇に忠実であつたかが解る。又併せて当時両大家が奮戦した勇ましい姿をも偲ぶことが出来る。ほど有名である。(『文章世界』明治四十年四月発行第二巻第四号第一臨時増刊「文と詩」四一―四二頁)四年頃、早稲田文学を起して、大に文壇の新声を鼓吹した。かれは沙翁の忠実なる研究者で客観主義と記実主義とを以て其の旗幟とした。鷗外漁史は此時柵草紙に拠つてハルトマンの美学を講じて居つたが、ゆくりなく衝突して此処に花々しい論戦はるべからざる者であつた。其早稲田文学に載せられたものを蒐めたのが、即ちこの『文学其折々』で、これを読めば、逍遙博では坪内の再検討の方が勢力を占めている。明治の文壇に批評が確立し、その新用語の創造定着を見たのも、主としてこの論戦からで、『早稲田文学』と言うと、この没理想で記憶され、『しがらみ草紙』と言うとハルトマンの美学を思い起すのが、常識のようになっているこの論戦を勝負として見る者は、坪内も五分の戦いはできなかったと言って、多くの批評家はその劣勢を認め、またある意味ではそれで間違いない。数年ドイツで思いのままに蘊蓄した鴎外に対し、洋書の輸入も限られていた早い  頃、葦の髄から天をのぞくようにして集めた坪内の知識とでは、程度の差が大きい。それに坪内がその性癖から鷗外の言い分に十分の理解を以て当ろうとしているのに対し、鴎外は坪内の言説を自分流に矯め直して議論し、駁論し易いように歪めて、素直に相手の言に耳を傾けていない。その上、鴎外の論拠としたハルトマンをも、勝手な読み方をした今日、その末流とも言うべきハルトマンの名は、新しい哲学書には全く載せられていないほど、無視せられるようになっている。そこへいくと、坪内のイギリス的実証主義を背景とするリアリズムないし記実主義は、広壮なる哲学的大建築を構成するには不足としても、根拠の総崩れになる危険がない。そこで往日の評価は逆転しかかり、今日して誤読曲解が多いのが今日では指摘せられている。更に哲学的見地に立てば、壮麗なへーゲル哲学が根底から崩解

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